BAR ツバメ

今宵も、ビールとウィスキーと東京ヤクルトスワローズ

僕と野村監督とヤクルトスワローズ

野村監督の訃報から1年が経った。ID野球を掲げヤクルトスワローズを3度の日本一に導いた野村監督は、僕にとって特別な存在だ。それには、とても個人的な理由が二つある。自分自身の心の整理のために、自分語りをさせて欲しい。

野村監督の目

比較的早く祖父を亡くした僕にとって、野村監督は祖父のような存在だった。テレビで観る野村監督は、取っ付きにくそうな人で、そしてメタボ気味なおじいさんだった。(楽天時代や、監督勇退後は”ボヤき”を筆頭にお茶目な印象が強かったが、ヤクルト監督時代は常にむすっとした厳しい表情でベンチに鎮座していた姿が印象的だった。ちなみに1990年代前半にはメタボなんて言葉は一般的ではなく、今ほどネガティブなイメージは無かったように思う。)少し脱線したが、そんな「気難しそうでメタボ気味な中高年男性」という典型的な昭和のおじいさんキャラが、祖父と重なった。どことなく顔や髪型も似ていた。その野村監督は、選手をよく見ておられる監督だった。節目節目で選手に厳しい声をかけたりたまに選手の活躍に目を細めたりしている姿は、まるで祖父から自分に目を向けられているような気持ちにさせてくれた。野村監督は、不器用ながら喜怒哀楽をとても丁寧に表現される方だと思う。ご自身の考えを、選手、スタッフそしてメディアに伝えることを重要視されていた方だけあって、その発信力は強烈だった。だから、いつも近くに野村監督がいるような気がしていた。そしてそこに僕は僕の祖父の姿を重ねていた。きっと僕だけではないと思う。その野村監督が亡くなった知らせを受けた2020年2月11日、僕はまた祖父を失った。数日後、神宮球場で献花の場が設けられた際は、迷う事なくその場に向かった。1ファンが言うのは大変失礼で烏滸がましいが、親族を失ったような喪失感があった。野村監督の目はあたたかく、祖父のように自分を見守ってくれていると感じさせてくださる、本当に特別な存在の方だった。

ID野球と僕

もう1つの理由は、ID野球だ。僕が小学に入りたての頃、まさに野村ヤクルトの黄金期が始まった。2021年においては信じ難いかもしれないが、92, 3年頃僕がヤクルトファンになったきっかけは、ヤクルトをよく飲んでいて身近だったこと、そしてスワローズが強かったことだ。その強いヤクルトスワローズのキーワードであった「ID野球」「野球は頭のスポーツ」という言葉に、僕はとても救われた。別に自慢するわけではないが、僕はお勉強が出来た。たぶん学年で1番出来たと思う。だが地方に暮らす小学校1、2年生の男子にとって「お勉強ができる」というのは、別に誇れる事ではなかった。やはり「運動神経が良い」のが正義なのである。幸いにも「お勉強ができる」ことを揶揄する友人はいなかったけれど、当時自分自身では引け目を感じていた。当時の僕には、お勉強ができることの先にある成功のロールモデルは全く想像できなかった。どちらかと言うと、「お勉強ができる」=「ずる賢くて、悪いことをする敵キャラ」みたいなイメージがあった。そんな自分が肯定されたと感じたのが、野村監督の掲げる「ID野球」なのである。他の11球団はフィジカルだけで野球をしているのに対して、野村監督率いるヤクルトスワローズはデータや考える力を武器に93年に日本一になったのだ。頭を使って成功することのイメージが鮮明に感じられた。「野球は頭のスポーツ」「生きるとは、考えることなり」など野村監督の数々の名言は、当時の自分にとって非常に励みになった。また時に漢詩を引用してインタビューに答える野村監督の姿から、「お勉強」を極めて教養として身につけていくことで人としての深みに繋がることを学んだ。「頭を使うことの価値」を通して、自己肯定感や勤勉性の意義という発達段階で大切なことを教えてくれた一人は、間違いなく野村監督だ。野村監督の率いていたヤクルトスワローズは、僕にとって人生の大切な彩りであり、大げさに思われるかもしれないけれどアイデンティティの形成にとても重要な存在だったと思う。本当に感謝したい、特別な存在の方だ。

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「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする。」

野村監督が好きな言葉の一つだ。この言葉通り、野村監督は数々の野球人を残した。ヤクルトの元監督である高津臣吾監督をはじめ、侍ジャパンの稲葉監督、楽天の石井監督ら野村監督に大きな影響を受けた選手たちが、現在監督として指揮を執っている。また一番弟子とも言える古田敦也さんも、ヤクルトの春キャンプ臨時コーチとして大いに選手やファンたちを沸かした。この方々と並ぶにはあまりにも畏れ多いけれど、僕自身も野村監督に影響を受けた人間として「人を遺す」に当てはまる人間になれたらと思う。野球界に貢献することはおそらく無いと思うが、「生きることは、考えることなり」の哲学のもと、考えて考えてアイディア出して価値を出して人の幸せに貢献できたらなと思う。

 

ありがとうございました、野村監督。

ずっと僕の胸に生き続けます。